犠牲の上に成り立つもの。

もし、今の会社でのVISAを諦めることで一つの同僚の家庭を守ることが出来るとしたら、あなたはどうしますか?


少し想像してみてください。
あなたは先日社長に呼び出されました。社長は言います。
「VISAの申請に伴って僕の給料を上げる必要がある。また、会社がスポンサーになるために年間60万以上政府に支払わなければならない。コストが思ったよりも高かった。」
と。
続けて言います。
「会社の中で誰が一番仕事ができないのか教えてほしい。」
と。

この質問の意味は明白。答えればその人は解雇されるということ。

あなただったらどう答えますか?


その対象者は移民者で家族があり、2歳にもならない子供がいます。
その事を知っていたら、あなたはVISAの為にその人と家族を犠牲にしますか?
それとも自分のVISAを犠牲にしますか?


実際は、先日僕は社長に呼び出されました。社長はただ一言「VISA申請の為に、君の年収を59,000AUDにしてあげる。問題がなければ新しい契約書にサインをしてほしい。」
ただ、それだけを僕に言いました。

VISA申請に必要な最低年収を上回っているこの上ない内容だったの喜んでサインしました。
そして、その2時間後、同僚が社長に呼び出され解雇されました。
彼は何も言わず、会社を去りました。

昨日一日ずっとその事を考えていました。
そういうことだったのか。と。

もしもそれが分かっていたら、僕だったらどうしたんだろう。

自問自答を繰り返して出た自分の答えは、

そこまでしてVISAがほしいのか?

自分はVISAの為に努力してきて悔いの残らないように出来るだけのことをしてきました。
だけど、やっぱり、人の幸せの上に自分の幸せを築くことって出来ないと思いました。
それにたぶん、自分はここがダメでも他のプランもあるし他の会社でもスポンサーになってもらえる自信があるということもあります。

ただ、それは今だからこそ言えることかもしれません。

VISAという自分の夢の為に犠牲にしたこと、犠牲になったことの上に成り立つものは幸せではないのかもしれません。

おーすとらりあ移民局(@o_sutoraria)

コメントを投稿